06.09.08:33
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03.26.21:34
ウズベキスタン珍道中①
明日はいよいよ卒業式ですね。卒業式とか別にどうでもいいんですが、その後の謝恩会がとても楽しみです。
最近全く絡めていなかった人たちに会えるし、久しぶりに大酒飲めそうで笑 いや、それは2次会以降でしょうかね。まぁなんにせよ明日は多くの人と言葉を交わせたらいいなと思っています。
さて、旅行のことを書いていこうと思います。すごいスピードで笑 写真に関しては後から載せていこうと思います。まずは、記憶がはっきりしているうちに思い出を書き残しておきたいと思います。
東欧旅行よりも、ウズベキスタン旅行の方が内容が濃かったので、とりあえずそちらを書いた上で、余裕があれば(たぶんないけど)そちらに関しても振り返ってみたいと思っています。
では、旅の始まりです。
================
3月9日:
前日の8日、9日の便が朝9時発だということに気がついた。まさかと思って調べてみると、やはり始発で最寄り駅を出ても間に合うか微妙だ。必然的に、新宿まで出て漫喫泊ということになった。
そのおかげで、当日はかなりぐったりしていた。ただ、疲労が溜まっていたおかげでたっぷり睡眠をとることができ、ソウルは経由したものの、気がついたらタシケントに着いていたという印象だった。
現地に到着したのは17時。とりあえず、地球の歩き方に載っている最も安いホテル(一泊10ドル)にタクシーで向かう。
ホテル「ハドゥラ」に到着したのは18時。夕焼けが、ホテルのボロさをより一層演出してくれている。
とりあえず2階のレセプションに行き、ばーさんに一泊したい旨を告げると、パスポートのコピーを取ってこいという。通りに沿っていけばコピーできる場所があるから、と。いや、道わからんけど
さて、どうしようか。ソファーに座って一服していると、少し離れたところに座っていたオッサンが話しかけてきた。
日本から来た、観光だ、日程は13日間だ、明日はヒヴァ(ウズベキスタンの西方の都市)に行くんだ、など、他愛もない話をした後で、
実はパスポートのコピーを取らなければならんのだが、という話をすると、じゃあ一緒に行ってやろうというので彼に連れて行ってもらった。
無事にコピーも取れ、その流れで彼と飯を食うことになった。とりあえず肉が食いたいのだが、というと適当に注文してくれた。
皿に肉が山盛りになって運ばれてきた。空腹だったのでありがたかったのだが、脂っこいったらありゃしなかった。笑
お互いに自己紹介をしながら、日本はまだ寒いのか、桜は咲いているのか、兄弟は住んでいるのか、などなど話をしながら飯を食い、ホテルに戻った。
コピーをババアに見せ、「ハラショーハラショー」と承認して頂いたあと、部屋に戻ってベッドにダイブした。とりあえず、風呂は明日でいーや。ていうか何もかも明日でいーや。
================
3月10日:起床。10時頃だったろうか。さあ、シャワーだシャワー。部屋には風呂もトイレもないので、部屋の外に出た。
少し廊下をうろうろしたが、シャワー室が見つからない。しょうがないので、受付のババアに「シャワーどこ」って聞いたら、笑いながら「ないよ」
ぜんだいみもーーーーーーーーん
人間の尊厳を守るため、歯だけは磨いた。
さて、今日は乗り合いのミニバスに乗って、14時間かけてウルゲンチに向かう。ただ、そう決めたとき、これがどれほど過酷なものか全くわかっていなかった。
タクシーに乗って、バス乗り場まで向かう。因みにタクシーばかり乗ってますが、これが一番安くて便利な交通手段なんですね。でも、正規のタクシーはないので、全部値段交渉せねばならんが。
バス乗り場に着くと、「おれの車にのれ!!」という客引き10人くらいに囲まれた。
そのうちの1人に強引にスーツケース奪われて、もうなんでもいーや笑と思ってそいつについていった。
車に乗り込むと、まだ1人しか乗客がいなかった。結局、乗り合いという形式なので、満席にならないと発車しないのである。つまり、待たなければならない。かなり長い時間。
1時間待ったが、あまり客が集まる気配がなく、その日は日差しも強く車内も暑くなってきたので、外に出た。
すると、今度は乞食に囲まれた。主に、頭にスカーフを巻いた女性である。そして、訳のわからない言葉で話しかけてくる(後から、彼らはタジク語を母語とするタジク人であるということを知る)。
そして大抵、彼らは幼い子どもを連れている。そしてその子どもたちも、お金をちょーだいと足元をうろうろするわ服を引っ張ってくるわで非常に鬱陶しいので、車内に引き揚げた。
待つこと3時間。16時半頃、ようやく乗客が集まり、ミニバンは出発した。
そこからはもう、地獄の一言。笑
まず、キャパの限界まで人が乗っているので、身動きが取れない。さらに、道が非常に悪いため、容赦ない振動が臀部を襲う。1時間も経たないうちにケツが痛くなってくる。
乗り続けること5時間弱。
飯を食うから降りろというので全員おろされ、食堂に連れて行かれた。
おれは助手席に乗っていた男に「旅人、おまえはこっちこい」と言われ、彼と他数人の乗客と食卓を共にすることになった。
出ました。ウォッカ。おまえらイスラム教なのに。てかこんなテンションで飲みたくないのに笑
「ナ・ズダロービィエ!(健康のために)」 何が健康のために笑
3,4杯飲んで、腹も満たされたところで再び車に詰め込まれた。
さて、明日のためにも寝たい。が、身体も傾けられないのでただ目をつむるしかない。それならまだしも、わけのわからん音楽がガンガンかかっているのでもう拷問としかいいようがない。
ふと、空を見上げると月がきれいだった。道に目をやると、どうやら砂漠の中を走っているらしい。ある程度予想はしていたが、やっぱり過酷な旅になった、と思いながらipodの画面をぼんやり眺めていた。
最近全く絡めていなかった人たちに会えるし、久しぶりに大酒飲めそうで笑 いや、それは2次会以降でしょうかね。まぁなんにせよ明日は多くの人と言葉を交わせたらいいなと思っています。
さて、旅行のことを書いていこうと思います。すごいスピードで笑 写真に関しては後から載せていこうと思います。まずは、記憶がはっきりしているうちに思い出を書き残しておきたいと思います。
東欧旅行よりも、ウズベキスタン旅行の方が内容が濃かったので、とりあえずそちらを書いた上で、余裕があれば(たぶんないけど)そちらに関しても振り返ってみたいと思っています。
では、旅の始まりです。
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3月9日:
前日の8日、9日の便が朝9時発だということに気がついた。まさかと思って調べてみると、やはり始発で最寄り駅を出ても間に合うか微妙だ。必然的に、新宿まで出て漫喫泊ということになった。
そのおかげで、当日はかなりぐったりしていた。ただ、疲労が溜まっていたおかげでたっぷり睡眠をとることができ、ソウルは経由したものの、気がついたらタシケントに着いていたという印象だった。
現地に到着したのは17時。とりあえず、地球の歩き方に載っている最も安いホテル(一泊10ドル)にタクシーで向かう。
ホテル「ハドゥラ」に到着したのは18時。夕焼けが、ホテルのボロさをより一層演出してくれている。
とりあえず2階のレセプションに行き、ばーさんに一泊したい旨を告げると、パスポートのコピーを取ってこいという。通りに沿っていけばコピーできる場所があるから、と。いや、道わからんけど
さて、どうしようか。ソファーに座って一服していると、少し離れたところに座っていたオッサンが話しかけてきた。
日本から来た、観光だ、日程は13日間だ、明日はヒヴァ(ウズベキスタンの西方の都市)に行くんだ、など、他愛もない話をした後で、
実はパスポートのコピーを取らなければならんのだが、という話をすると、じゃあ一緒に行ってやろうというので彼に連れて行ってもらった。
無事にコピーも取れ、その流れで彼と飯を食うことになった。とりあえず肉が食いたいのだが、というと適当に注文してくれた。
皿に肉が山盛りになって運ばれてきた。空腹だったのでありがたかったのだが、脂っこいったらありゃしなかった。笑
お互いに自己紹介をしながら、日本はまだ寒いのか、桜は咲いているのか、兄弟は住んでいるのか、などなど話をしながら飯を食い、ホテルに戻った。
コピーをババアに見せ、「ハラショーハラショー」と承認して頂いたあと、部屋に戻ってベッドにダイブした。とりあえず、風呂は明日でいーや。ていうか何もかも明日でいーや。
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3月10日:起床。10時頃だったろうか。さあ、シャワーだシャワー。部屋には風呂もトイレもないので、部屋の外に出た。
少し廊下をうろうろしたが、シャワー室が見つからない。しょうがないので、受付のババアに「シャワーどこ」って聞いたら、笑いながら「ないよ」
ぜんだいみもーーーーーーーーん
人間の尊厳を守るため、歯だけは磨いた。
さて、今日は乗り合いのミニバスに乗って、14時間かけてウルゲンチに向かう。ただ、そう決めたとき、これがどれほど過酷なものか全くわかっていなかった。
タクシーに乗って、バス乗り場まで向かう。因みにタクシーばかり乗ってますが、これが一番安くて便利な交通手段なんですね。でも、正規のタクシーはないので、全部値段交渉せねばならんが。
バス乗り場に着くと、「おれの車にのれ!!」という客引き10人くらいに囲まれた。
そのうちの1人に強引にスーツケース奪われて、もうなんでもいーや笑と思ってそいつについていった。
車に乗り込むと、まだ1人しか乗客がいなかった。結局、乗り合いという形式なので、満席にならないと発車しないのである。つまり、待たなければならない。かなり長い時間。
1時間待ったが、あまり客が集まる気配がなく、その日は日差しも強く車内も暑くなってきたので、外に出た。
すると、今度は乞食に囲まれた。主に、頭にスカーフを巻いた女性である。そして、訳のわからない言葉で話しかけてくる(後から、彼らはタジク語を母語とするタジク人であるということを知る)。
そして大抵、彼らは幼い子どもを連れている。そしてその子どもたちも、お金をちょーだいと足元をうろうろするわ服を引っ張ってくるわで非常に鬱陶しいので、車内に引き揚げた。
待つこと3時間。16時半頃、ようやく乗客が集まり、ミニバンは出発した。
そこからはもう、地獄の一言。笑
まず、キャパの限界まで人が乗っているので、身動きが取れない。さらに、道が非常に悪いため、容赦ない振動が臀部を襲う。1時間も経たないうちにケツが痛くなってくる。
乗り続けること5時間弱。
飯を食うから降りろというので全員おろされ、食堂に連れて行かれた。
おれは助手席に乗っていた男に「旅人、おまえはこっちこい」と言われ、彼と他数人の乗客と食卓を共にすることになった。
出ました。ウォッカ。おまえらイスラム教なのに。てかこんなテンションで飲みたくないのに笑
「ナ・ズダロービィエ!(健康のために)」 何が健康のために笑
3,4杯飲んで、腹も満たされたところで再び車に詰め込まれた。
さて、明日のためにも寝たい。が、身体も傾けられないのでただ目をつむるしかない。それならまだしも、わけのわからん音楽がガンガンかかっているのでもう拷問としかいいようがない。
ふと、空を見上げると月がきれいだった。道に目をやると、どうやら砂漠の中を走っているらしい。ある程度予想はしていたが、やっぱり過酷な旅になった、と思いながらipodの画面をぼんやり眺めていた。
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