06.08.02:42
[PR]
01.17.04:49
ロシア人とモスクヴィチ
先週金曜日はモスクワ郊外のホテルで会社の同僚の方々と新年パーティーでした(因みにロシアでは旧正月を1月14日に祝います)。
しかしあれだけ浴びるほどウォッカを飲んだのは久しぶりで土曜日の朝は廃人のようになってました。笑
さて、ロシア人と話していて私の彼女の話になったときのこと。
私は最初、「ロシア人の彼女がいます」
という言い方をしたのですが、出身がバシコルトスタンだとしった途端、
「それはロシア人じゃないじゃん、バシキール人じゃん」
と言われました。
もちろん、バシコルトスタン共和国から来たバシキール人だというのは百も承知なわけですが、我々日本人にとってはロシア人はロシア人です。
ここで考えるべきは「ロシア人」という概念です。
あるおばさんはこういいました。
「なんであなたロシア人と付き合わないの?こんなにモスクワにはロシア人がいるのに。宗教も言語も性格も全然違うのよバシキール人は。ちょっとあなたが心配よ。その子はいつモスクワに来たの?え、去年?なんで来たの?仕事がないから?ほらそうでしょう?あなた、もしかしたら彼女はお金に目がくらんで付き合ってるのかもしれないわよ、気をつけなさい」
モスクワっ子のことをロシア語では「モスクヴィチ」といいますが、モスクヴィチは地方のロシア人のことを猛烈にディスります。まるで自分たちが本当のロシア人であると主張するかのように。
これは、東京人が埼玉ディスるとか田舎を小ばかにするような話のレベルではもちろんなくて、いうなれば「あいつらは日本人じゃないからね。日本国籍持ってるけど」というようなもの。
(因みに、ペテルブルクのことはロシア2大都市の一方という意味でバカにしています。ぺテルの人はぺテルのことを「ロシア文化の中心です!」というのに対し、モスクワの人は「あれはネヴァ川沿いに立てられたイタリア村」とディスります。笑)
さて話を戻しまして、では、そんなことを仰る、彼らの考えるところの「ロシア人」とは何か。それはエスニックグループでいうなら、「スラブ系民族」、もしくはそれっぽく見える人ということになるかと思います。(かつモスクワ出身なら真のロシア人ということになるでしょうかw)
しかしです、ここで、「それっぽく見える人」と言ったのは、結局彼ら自身、ロシア人が何者であるかをわかっていないのです。
タタール人の侵入やモスクワ以東の入植で、ロシアは歴史的に外部からの血が頻繁に入ってきていたので、我輩はロシア人だと主張するモスクヴィチの中にもかなり見た目の違いがあるわけです。「多かれ少なかれロシア人にはタタール人の血が入っている」という言葉があるくらいです。
なので、実際には「ロシア人」というのはエスニックグループの概念ではひとくくりにできず、ロシア国籍を持っている人(かつロシアに定住している人)という定義になるのかと思います。まぁ、もちろんモスクヴィチもそれは頭では理解していますが、異なる文化コミュニティーと容姿を持つ地方の人間をロシア人とは呼びたくないようです。
因みにですが、逆にうちの彼女は自分のことを「ロシア人」と呼ばれるのを好みません。それは、ただ捻くれてそう言ってるだけなのか、自分がバシキール人だということを主張したいからなのかは定かではありませんが・・
さらに言えば、「モスクヴィチ」も一体どこからそう呼んでいいのかはっきり決まってません。ある教授はこう言っていました。
「私は確かにモスクワで生まれたよ。でも、モスクヴィチと呼んでいいだろうか。おそらく、ニェト(いいえ)だ。なぜなら、私の母はトゥベーリ(モスクワ近郊都市)出身だからだ。トゥベーリはかつてロシアの首都になりそこねた歴史があり、今でもそこに住む人たちの中には自分たちがロシア文化の中心だと考える者も多い。そんな都市出身の母をもつ私がモスクヴィチと言えるか。ニェト、だ」
さらに言えば、モスクワで生まれた韓国系ロシア人2世3世、中央アジア系ロシア人2世3世はモスクヴィチと呼んでいいのでしょうか。おそらく、上述の方々は認めてくれないでしょう。
さて、書くのがめんどくさくなってきましたww このように複雑な都市間、民族間感情が今日のロシアを形作っているわけですね、という強引な一行のまとめで終わりますw
しかしあれだけ浴びるほどウォッカを飲んだのは久しぶりで土曜日の朝は廃人のようになってました。笑
さて、ロシア人と話していて私の彼女の話になったときのこと。
私は最初、「ロシア人の彼女がいます」
という言い方をしたのですが、出身がバシコルトスタンだとしった途端、
「それはロシア人じゃないじゃん、バシキール人じゃん」
と言われました。
もちろん、バシコルトスタン共和国から来たバシキール人だというのは百も承知なわけですが、我々日本人にとってはロシア人はロシア人です。
ここで考えるべきは「ロシア人」という概念です。
あるおばさんはこういいました。
「なんであなたロシア人と付き合わないの?こんなにモスクワにはロシア人がいるのに。宗教も言語も性格も全然違うのよバシキール人は。ちょっとあなたが心配よ。その子はいつモスクワに来たの?え、去年?なんで来たの?仕事がないから?ほらそうでしょう?あなた、もしかしたら彼女はお金に目がくらんで付き合ってるのかもしれないわよ、気をつけなさい」
モスクワっ子のことをロシア語では「モスクヴィチ」といいますが、モスクヴィチは地方のロシア人のことを猛烈にディスります。まるで自分たちが本当のロシア人であると主張するかのように。
これは、東京人が埼玉ディスるとか田舎を小ばかにするような話のレベルではもちろんなくて、いうなれば「あいつらは日本人じゃないからね。日本国籍持ってるけど」というようなもの。
(因みに、ペテルブルクのことはロシア2大都市の一方という意味でバカにしています。ぺテルの人はぺテルのことを「ロシア文化の中心です!」というのに対し、モスクワの人は「あれはネヴァ川沿いに立てられたイタリア村」とディスります。笑)
さて話を戻しまして、では、そんなことを仰る、彼らの考えるところの「ロシア人」とは何か。それはエスニックグループでいうなら、「スラブ系民族」、もしくはそれっぽく見える人ということになるかと思います。(かつモスクワ出身なら真のロシア人ということになるでしょうかw)
しかしです、ここで、「それっぽく見える人」と言ったのは、結局彼ら自身、ロシア人が何者であるかをわかっていないのです。
タタール人の侵入やモスクワ以東の入植で、ロシアは歴史的に外部からの血が頻繁に入ってきていたので、我輩はロシア人だと主張するモスクヴィチの中にもかなり見た目の違いがあるわけです。「多かれ少なかれロシア人にはタタール人の血が入っている」という言葉があるくらいです。
なので、実際には「ロシア人」というのはエスニックグループの概念ではひとくくりにできず、ロシア国籍を持っている人(かつロシアに定住している人)という定義になるのかと思います。まぁ、もちろんモスクヴィチもそれは頭では理解していますが、異なる文化コミュニティーと容姿を持つ地方の人間をロシア人とは呼びたくないようです。
因みにですが、逆にうちの彼女は自分のことを「ロシア人」と呼ばれるのを好みません。それは、ただ捻くれてそう言ってるだけなのか、自分がバシキール人だということを主張したいからなのかは定かではありませんが・・
さらに言えば、「モスクヴィチ」も一体どこからそう呼んでいいのかはっきり決まってません。ある教授はこう言っていました。
「私は確かにモスクワで生まれたよ。でも、モスクヴィチと呼んでいいだろうか。おそらく、ニェト(いいえ)だ。なぜなら、私の母はトゥベーリ(モスクワ近郊都市)出身だからだ。トゥベーリはかつてロシアの首都になりそこねた歴史があり、今でもそこに住む人たちの中には自分たちがロシア文化の中心だと考える者も多い。そんな都市出身の母をもつ私がモスクヴィチと言えるか。ニェト、だ」
さらに言えば、モスクワで生まれた韓国系ロシア人2世3世、中央アジア系ロシア人2世3世はモスクヴィチと呼んでいいのでしょうか。おそらく、上述の方々は認めてくれないでしょう。
さて、書くのがめんどくさくなってきましたww このように複雑な都市間、民族間感情が今日のロシアを形作っているわけですね、という強引な一行のまとめで終わりますw
PR
「国民」とは「想像の共同体」というわけですね。そんな君は「北海道ナショナリスト」?
Re:無題
そこまで言い切っていいのかわからんけどねぇ。北海道ナショナリストではないと思っているが、コンサドーレは無条件に応援しまくってるからそうなのかもしれんw
- トラックバックURLはこちら