06.13.23:55
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01.17.04:49
ロシア人とモスクヴィチ
先週金曜日はモスクワ郊外のホテルで会社の同僚の方々と新年パーティーでした(因みにロシアでは旧正月を1月14日に祝います)。
しかしあれだけ浴びるほどウォッカを飲んだのは久しぶりで土曜日の朝は廃人のようになってました。笑
さて、ロシア人と話していて私の彼女の話になったときのこと。
私は最初、「ロシア人の彼女がいます」
という言い方をしたのですが、出身がバシコルトスタンだとしった途端、
「それはロシア人じゃないじゃん、バシキール人じゃん」
と言われました。
もちろん、バシコルトスタン共和国から来たバシキール人だというのは百も承知なわけですが、我々日本人にとってはロシア人はロシア人です。
ここで考えるべきは「ロシア人」という概念です。
あるおばさんはこういいました。
「なんであなたロシア人と付き合わないの?こんなにモスクワにはロシア人がいるのに。宗教も言語も性格も全然違うのよバシキール人は。ちょっとあなたが心配よ。その子はいつモスクワに来たの?え、去年?なんで来たの?仕事がないから?ほらそうでしょう?あなた、もしかしたら彼女はお金に目がくらんで付き合ってるのかもしれないわよ、気をつけなさい」
モスクワっ子のことをロシア語では「モスクヴィチ」といいますが、モスクヴィチは地方のロシア人のことを猛烈にディスります。まるで自分たちが本当のロシア人であると主張するかのように。
これは、東京人が埼玉ディスるとか田舎を小ばかにするような話のレベルではもちろんなくて、いうなれば「あいつらは日本人じゃないからね。日本国籍持ってるけど」というようなもの。
(因みに、ペテルブルクのことはロシア2大都市の一方という意味でバカにしています。ぺテルの人はぺテルのことを「ロシア文化の中心です!」というのに対し、モスクワの人は「あれはネヴァ川沿いに立てられたイタリア村」とディスります。笑)
さて話を戻しまして、では、そんなことを仰る、彼らの考えるところの「ロシア人」とは何か。それはエスニックグループでいうなら、「スラブ系民族」、もしくはそれっぽく見える人ということになるかと思います。(かつモスクワ出身なら真のロシア人ということになるでしょうかw)
しかしです、ここで、「それっぽく見える人」と言ったのは、結局彼ら自身、ロシア人が何者であるかをわかっていないのです。
タタール人の侵入やモスクワ以東の入植で、ロシアは歴史的に外部からの血が頻繁に入ってきていたので、我輩はロシア人だと主張するモスクヴィチの中にもかなり見た目の違いがあるわけです。「多かれ少なかれロシア人にはタタール人の血が入っている」という言葉があるくらいです。
なので、実際には「ロシア人」というのはエスニックグループの概念ではひとくくりにできず、ロシア国籍を持っている人(かつロシアに定住している人)という定義になるのかと思います。まぁ、もちろんモスクヴィチもそれは頭では理解していますが、異なる文化コミュニティーと容姿を持つ地方の人間をロシア人とは呼びたくないようです。
因みにですが、逆にうちの彼女は自分のことを「ロシア人」と呼ばれるのを好みません。それは、ただ捻くれてそう言ってるだけなのか、自分がバシキール人だということを主張したいからなのかは定かではありませんが・・
さらに言えば、「モスクヴィチ」も一体どこからそう呼んでいいのかはっきり決まってません。ある教授はこう言っていました。
「私は確かにモスクワで生まれたよ。でも、モスクヴィチと呼んでいいだろうか。おそらく、ニェト(いいえ)だ。なぜなら、私の母はトゥベーリ(モスクワ近郊都市)出身だからだ。トゥベーリはかつてロシアの首都になりそこねた歴史があり、今でもそこに住む人たちの中には自分たちがロシア文化の中心だと考える者も多い。そんな都市出身の母をもつ私がモスクヴィチと言えるか。ニェト、だ」
さらに言えば、モスクワで生まれた韓国系ロシア人2世3世、中央アジア系ロシア人2世3世はモスクヴィチと呼んでいいのでしょうか。おそらく、上述の方々は認めてくれないでしょう。
さて、書くのがめんどくさくなってきましたww このように複雑な都市間、民族間感情が今日のロシアを形作っているわけですね、という強引な一行のまとめで終わりますw
しかしあれだけ浴びるほどウォッカを飲んだのは久しぶりで土曜日の朝は廃人のようになってました。笑
さて、ロシア人と話していて私の彼女の話になったときのこと。
私は最初、「ロシア人の彼女がいます」
という言い方をしたのですが、出身がバシコルトスタンだとしった途端、
「それはロシア人じゃないじゃん、バシキール人じゃん」
と言われました。
もちろん、バシコルトスタン共和国から来たバシキール人だというのは百も承知なわけですが、我々日本人にとってはロシア人はロシア人です。
ここで考えるべきは「ロシア人」という概念です。
あるおばさんはこういいました。
「なんであなたロシア人と付き合わないの?こんなにモスクワにはロシア人がいるのに。宗教も言語も性格も全然違うのよバシキール人は。ちょっとあなたが心配よ。その子はいつモスクワに来たの?え、去年?なんで来たの?仕事がないから?ほらそうでしょう?あなた、もしかしたら彼女はお金に目がくらんで付き合ってるのかもしれないわよ、気をつけなさい」
モスクワっ子のことをロシア語では「モスクヴィチ」といいますが、モスクヴィチは地方のロシア人のことを猛烈にディスります。まるで自分たちが本当のロシア人であると主張するかのように。
これは、東京人が埼玉ディスるとか田舎を小ばかにするような話のレベルではもちろんなくて、いうなれば「あいつらは日本人じゃないからね。日本国籍持ってるけど」というようなもの。
(因みに、ペテルブルクのことはロシア2大都市の一方という意味でバカにしています。ぺテルの人はぺテルのことを「ロシア文化の中心です!」というのに対し、モスクワの人は「あれはネヴァ川沿いに立てられたイタリア村」とディスります。笑)
さて話を戻しまして、では、そんなことを仰る、彼らの考えるところの「ロシア人」とは何か。それはエスニックグループでいうなら、「スラブ系民族」、もしくはそれっぽく見える人ということになるかと思います。(かつモスクワ出身なら真のロシア人ということになるでしょうかw)
しかしです、ここで、「それっぽく見える人」と言ったのは、結局彼ら自身、ロシア人が何者であるかをわかっていないのです。
タタール人の侵入やモスクワ以東の入植で、ロシアは歴史的に外部からの血が頻繁に入ってきていたので、我輩はロシア人だと主張するモスクヴィチの中にもかなり見た目の違いがあるわけです。「多かれ少なかれロシア人にはタタール人の血が入っている」という言葉があるくらいです。
なので、実際には「ロシア人」というのはエスニックグループの概念ではひとくくりにできず、ロシア国籍を持っている人(かつロシアに定住している人)という定義になるのかと思います。まぁ、もちろんモスクヴィチもそれは頭では理解していますが、異なる文化コミュニティーと容姿を持つ地方の人間をロシア人とは呼びたくないようです。
因みにですが、逆にうちの彼女は自分のことを「ロシア人」と呼ばれるのを好みません。それは、ただ捻くれてそう言ってるだけなのか、自分がバシキール人だということを主張したいからなのかは定かではありませんが・・
さらに言えば、「モスクヴィチ」も一体どこからそう呼んでいいのかはっきり決まってません。ある教授はこう言っていました。
「私は確かにモスクワで生まれたよ。でも、モスクヴィチと呼んでいいだろうか。おそらく、ニェト(いいえ)だ。なぜなら、私の母はトゥベーリ(モスクワ近郊都市)出身だからだ。トゥベーリはかつてロシアの首都になりそこねた歴史があり、今でもそこに住む人たちの中には自分たちがロシア文化の中心だと考える者も多い。そんな都市出身の母をもつ私がモスクヴィチと言えるか。ニェト、だ」
さらに言えば、モスクワで生まれた韓国系ロシア人2世3世、中央アジア系ロシア人2世3世はモスクヴィチと呼んでいいのでしょうか。おそらく、上述の方々は認めてくれないでしょう。
さて、書くのがめんどくさくなってきましたww このように複雑な都市間、民族間感情が今日のロシアを形作っているわけですね、という強引な一行のまとめで終わりますw
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01.11.04:54
ただの更新
なんで女性は急に怒り出したり泣き出したりするんでしょうか・・
さーて金曜は別荘に行ってきます!тусоватьсяしてくるお^ ^
今、オリガルヒ(新興財閥)について興味深い話を聞いたので書き留めたいのですが、時間がないので来週頭に書きたいと思います。
今週はもう更新できない気がするのでとりあえず何か書いとこうと思っただけです笑、それではおやすみなさい。皆さんよい週末を!
Хидэ
さーて金曜は別荘に行ってきます!тусоватьсяしてくるお^ ^
今、オリガルヒ(新興財閥)について興味深い話を聞いたので書き留めたいのですが、時間がないので来週頭に書きたいと思います。
今週はもう更新できない気がするのでとりあえず何か書いとこうと思っただけです笑、それではおやすみなさい。皆さんよい週末を!
Хидэ
01.04.23:00
わたし・・・
今、カザンというロシアのなかで最も大きい都市の一つに彼女ときています。
今日は3時間程度のエクスカーションに参加して市内見学したのですが、教会見学した際、彼女が、
「私ムリ。ムスリムだから・・・」
いやおまえブタ散々食っといてお祈りなんて一度もしてないくせによくwww
←因みに去年モスクワくるまでは本当に食べてなかったが、こっちにきてから豚肉のうまさに目覚めてしまったとのことw
と思う以前に、ムスリムだったの!という驚きが先に来ました。
その後モスクを見学した際は、熱心にウラマー(?)の言葉に耳を傾け、ようとしてましたがタタール語で何言ってるんだかさっぱりわからんとのことでした笑 バシキール語ならわかるのにと悔しがってましたが、いやしかし本当にロシアってのは多民族多宗教多言語国家だなぁというのを改めて感じますね。今いるタタルスタン共和国も人口の半分はタタール人ですからね。見た目も違うし言葉も違うし。
もっと勉強しなきゃ!
明日モスクワ帰ります。
今日は3時間程度のエクスカーションに参加して市内見学したのですが、教会見学した際、彼女が、
「私ムリ。ムスリムだから・・・」
いやおまえブタ散々食っといてお祈りなんて一度もしてないくせによくwww
←因みに去年モスクワくるまでは本当に食べてなかったが、こっちにきてから豚肉のうまさに目覚めてしまったとのことw
と思う以前に、ムスリムだったの!という驚きが先に来ました。
その後モスクを見学した際は、熱心にウラマー(?)の言葉に耳を傾け、ようとしてましたがタタール語で何言ってるんだかさっぱりわからんとのことでした笑 バシキール語ならわかるのにと悔しがってましたが、いやしかし本当にロシアってのは多民族多宗教多言語国家だなぁというのを改めて感じますね。今いるタタルスタン共和国も人口の半分はタタール人ですからね。見た目も違うし言葉も違うし。
もっと勉強しなきゃ!
明日モスクワ帰ります。
01.01.14:27
あけまして
おめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。
昨日は赤広(赤の広場)までたどり着こうとしましたが、ご覧のように赤の広場「周辺」で新年を迎えました。笑 いやあ、浴びるほどビールを飲みました。初めてお会いした日本人の会社員に喉輪してしまいましたが、色々と楽しかった。
今年は後ろを振り返る余裕もなく突っ走る一年になると思います。もてるエネルギーの全てを対ロシアに注ぎこんで、気がついたらもう年の瀬、そんな一年にしたいと思います。
この零細ブログについては、零細感を保ちつつ、今までどおりコンスタントに3日に一回は更新していきたいと思いますので、チェケラよろしくです。
夏には一時帰国しますので、どれだけ休みが取れるのか全くまだ知らないのですが笑、お会いできる方は是非一献傾けたく、よろしくお願いします。
明日から7日まで、ロシアの地方都市を回ってこようと思います。i phoneから更新します!
昨日は赤広(赤の広場)までたどり着こうとしましたが、ご覧のように赤の広場「周辺」で新年を迎えました。笑 いやあ、浴びるほどビールを飲みました。初めてお会いした日本人の会社員に喉輪してしまいましたが、色々と楽しかった。
今年は後ろを振り返る余裕もなく突っ走る一年になると思います。もてるエネルギーの全てを対ロシアに注ぎこんで、気がついたらもう年の瀬、そんな一年にしたいと思います。
この零細ブログについては、零細感を保ちつつ、今までどおりコンスタントに3日に一回は更新していきたいと思いますので、チェケラよろしくです。
夏には一時帰国しますので、どれだけ休みが取れるのか全くまだ知らないのですが笑、お会いできる方は是非一献傾けたく、よろしくお願いします。
明日から7日まで、ロシアの地方都市を回ってこようと思います。i phoneから更新します!
12.30.03:04
プレゼンから学んだこと
さていよいよ今年も残すところあと2日となり、ロシア人の彼女からは「明日一人でストリップショーをやりなさい」という全く意味不明な指令を受けているhideなわけですが、全然関係ないことを書きたいと思います。
この前モスクワ関係大学で、日本での正月の祝い方に関するプレゼンを行う機会を頂き非常に貴重な経験となったわけですが、今後の仕事にも関わることなので、この経験から自分なりに考えたプレゼンのあるべき姿を記しておきます(ものすごい端的にw)。
さてものすごい端的に申し上げますが、プレゼンテーションは、すごく、こう、面白くあるべきだと思います。 笑
漠としていますが、ここでいう面白い、というのは知的好奇心を刺激する面白さと、ジョークなどのユーモアを指しているのですが、それが両方組み込まれているプレゼンこそが最強だと思うわけです。
そもそもプレゼンターはまず、聴衆が自分の話すテーマについてぜんっっぜん関心がないという前提から話を始める必要があります。
どんなにパワポで高度な装飾をしても、どんなに弁が立っても、携帯いじってる聴衆の関心を引く中身が伴っていないと全く意味がありません。右から左に受け流されたらたまったもんじゃありません。
ということで今回聴衆の関心を引くために試験的に使った効果は「意外性」。
日本人の秩序正しいイメージは誰もが持っていて、東日本大震災の報道によって更にそのイメージを世界に植えつけることになりましたが、今回あえて、
ぜんっっぜん秩序正しくない日本人を一部紹介しました。初売りの様子です。
1月2日、デパートが開店するや否や猛然とダッシュしていくおばちゃんたち、何が入っているかわからない袋を我先に奪い合う人々、意外性に加えてその滑稽さも相まって、大爆笑、拍手喝采でした。
しかし、その後、調子に乗って授業でならったロシアンジョークを放ったものの、聴衆の大半がロシア国外からの留学生だったため理解者があまりおらず、地獄のようなすべり方をしました。
しかし全体としては、思っていた以上に皆さん真剣に聞いてくださって、成功裏に終わり安心しました。
ちなみに、プレゼン内容とは一切関係ないですが、人前で話すと尋常じゃなく喉が渇きますね笑。20分しか話してないのに、マイク使わず声張り上げていたことを差し引いても、水分どこさいったべという感じでした。人前に出て何かするのは全然嫌いじゃない人なんですが、上がらずに話せるようになるにはまだまだ実践が必要だと感じました。
その後先生から、「来春にCIS諸国のことについてならなんでもいいからまたプレゼンやって」とオファーを受け、全くいつなのかもまだ知りませんが、このような機会がまたあるならチャレンジ一年生っしょ、と思っています。ただテーマが正月からハードル上がりすぎやろ明らかに
がんばるぞー

この前モスクワ関係大学で、日本での正月の祝い方に関するプレゼンを行う機会を頂き非常に貴重な経験となったわけですが、今後の仕事にも関わることなので、この経験から自分なりに考えたプレゼンのあるべき姿を記しておきます(ものすごい端的にw)。
さてものすごい端的に申し上げますが、プレゼンテーションは、すごく、こう、面白くあるべきだと思います。 笑
漠としていますが、ここでいう面白い、というのは知的好奇心を刺激する面白さと、ジョークなどのユーモアを指しているのですが、それが両方組み込まれているプレゼンこそが最強だと思うわけです。
そもそもプレゼンターはまず、聴衆が自分の話すテーマについてぜんっっぜん関心がないという前提から話を始める必要があります。
どんなにパワポで高度な装飾をしても、どんなに弁が立っても、携帯いじってる聴衆の関心を引く中身が伴っていないと全く意味がありません。右から左に受け流されたらたまったもんじゃありません。
ということで今回聴衆の関心を引くために試験的に使った効果は「意外性」。
日本人の秩序正しいイメージは誰もが持っていて、東日本大震災の報道によって更にそのイメージを世界に植えつけることになりましたが、今回あえて、
ぜんっっぜん秩序正しくない日本人を一部紹介しました。初売りの様子です。
1月2日、デパートが開店するや否や猛然とダッシュしていくおばちゃんたち、何が入っているかわからない袋を我先に奪い合う人々、意外性に加えてその滑稽さも相まって、大爆笑、拍手喝采でした。
しかし、その後、調子に乗って授業でならったロシアンジョークを放ったものの、聴衆の大半がロシア国外からの留学生だったため理解者があまりおらず、地獄のようなすべり方をしました。
しかし全体としては、思っていた以上に皆さん真剣に聞いてくださって、成功裏に終わり安心しました。
ちなみに、プレゼン内容とは一切関係ないですが、人前で話すと尋常じゃなく喉が渇きますね笑。20分しか話してないのに、マイク使わず声張り上げていたことを差し引いても、水分どこさいったべという感じでした。人前に出て何かするのは全然嫌いじゃない人なんですが、上がらずに話せるようになるにはまだまだ実践が必要だと感じました。
その後先生から、「来春にCIS諸国のことについてならなんでもいいからまたプレゼンやって」とオファーを受け、全くいつなのかもまだ知りませんが、このような機会がまたあるならチャレンジ一年生っしょ、と思っています。ただテーマが正月からハードル上がりすぎやろ明らかに
がんばるぞー